レールに乗ることについての話

 

 今週の水曜日、とある場所に行ってきた。そして、その時に出会った人と話したことが未だに印象に残っている。今日はその話をしたい。

 彼は京大卒でもともと外資系企業に勤めていたというエリートだが、ある事情でその会社を退職した後は自分が本当にやりたい事を実現するために動いていると言う意識の高い人物だ。

 そんな彼と話していた時、私が高校を中退していると言う話を何気なく伝えると、彼はそれに呼応するかのように、学歴について忌憚のない意見を振るった。曰く、既存のレールに乗ってエスカレーター式に高校→大学→会社と進路を行く同級生を見ながら、結局彼らは自分の意思で動いてはおらず、ただ流されているにすぎないのではないかと疑念を抱いたという。それに比べたら自分で決断して我が道を行く人の方が何倍も「生きている」と。

 私はその話を聞いていて彼の主張に共感できる部分がある一方、それでも大学に行くということには何かしらの意味がある(もしくはあった)のではないかと帰路につきながら考えていた。

 

 例えば彼が批判していた同級生たちはおそらく灘とか洛南とか名の知れた進学校に入学し懸命に勉強して、東大や京大といった名門大学に入って、そのまま大手企業や官庁などに進路を決めるというケースが通常よりも多いと思われる。

 そして、そういう人間に対して面白みを感じないというのが彼の主張だったけれど、それは彼個人の価値観だから別に私がどうこう言えることではない。

 ただ、私にはレールに乗って生きるということが羨ましく思う気持ちがある。

 というのも私は恥ずかしながら高校を中退し、高認を取り直した経歴を持っているが、大卒という肩書きが価値を失ってきていると言われる昨今でも、やはり中退したという事実は重いものがあるし、自分自身それを引け目に感じているところがある。

 いわゆる高校→大学→会社というレールに乗り損ねた私は未だにそのことについて逡巡している。だったら就職すればいいじゃないかと思われるが、私としては何だか今更そこに向かっていくのも少し違う気がするのだ。

 エスカレーター式に次のステップへとするすると上がっていくその流れから一度それてしまうと、仮にそこから這い上がって同じ流れに戻るとしても、必ずしもその事がその人にとってプラスになるかと言うと、そうではないかも知れないと感じるからだ。

 例えば一度その流れから脱落するからこそ気づくこともある。そして、その気づきを生かす道を探るのもまた人生の選択だと考えると、元の流れに戻る事だけが正解とは言えなくなるのではないか。

 もちろん、実際の生活に則して言えば元のレールに戻った方がまず安定した生活を送れる確率が高まるとは思うが、それでもあえてそこに戻らないという生き方があってもいいはずだ。

 それでもやはり、私の心の中のどこかでは皆と同じようなレールに乗りたい、皆と同じような悩みを共有したい、という願望があるように思う。そんなものは幻想に過ぎないのかもしれない、それでもその幻想が依然として私の中で居座っている。

 そうした幻想が歪んだ結果として事件を起こしたり人を傷つけたりするケースもあるだろうが、私はあいにくそこまでのエネルギーを持てていないから結果としてはうだつのあがらない生活を送って、日々を過ごすことになっているのかもしれない。

 

 こうした将来のことについて考え始めたきっかけとしては私が最近転職活動を少し初めてみたことも実は影響している。いい加減動かないとまずいかな、という気持ちでエージェントと相談して、何社か受けてみたのだが、いざ活動し始めてみると、本当にこっちの道で合ってるのか、どうも自信が持てなくなっていた。

 業種自体も好きで選んだというよりは入りやすいという理由だけで選んでしまったこともあって、何回か企業面接を繰り返すうちにどうも私はその職種に対して真剣に向き合う気持ちがないのではないかと思うようになった。それでも面接を受ければ、とりあえず通るので私はそのまま進んでしまってもいいのではないかと考えるようにもなった。

 そこで私はそうした悩みについて先輩に相談することにしてみた。その先輩は業界では大手の外資系企業に勤めていることもあって色々と相談に乗ってくれると考えたからだ。

 私は先輩と席を共にすると開口一番、ある企業の面接が通ったと話した。このまま行けば内定も貰えると思うとも。するとその先輩は私に対してこう言った。

 「もちろん、その会社で勤めて働くことも一つだけど、それよりも違う方向を目指した方が君は向いていると思うよ」

 そして、先輩は私に向いている職種だったり、これからのトレンドになりそうな業界について、知り合いの転職エージェントから聞いてきたという情報を教えてくれた。

 私としてはそうした情報について聞けると思ってなかったので、ただただ先輩の話をずっと聞いていたが、次第に彼が言っていることの本質的な意味について理解が及ぶようになった。

 つまり、先輩は私がレールに乗ることだけにこだわりすぎて、自分を見失っていることを示そうとあれこれ言葉を継いで私を説得しようとしていたのだ。

 しかし、私はそのことで自分が否定されているとはあまり感じていなかった。むしろ「やっぱり、そうだよな・・・」と少し残念な気持ちではあったが全体的に納得していた。こうしたことは、仮に自分の動き方自体は間違っていなかったとは言え、目的地が完全に近い形で正しいものでなければ、まるで意味を成さない類のものだということに私は気付いたのだった。

 そう気づいたのは良かったのだけど、ではその先どこに進むのかということになると暗中模索していくしかなくなる。こればっかりは誰も指南することはできない。暗闇の中を手探りに壁伝いに進んでいくように、前へと歩を進めるしかない。

 ただ、こうしたことはどれも私の考えすぎかもしれない。